今回は参加者のことばとして、Xさんの気づきを掲載します。
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ことばには意味があっても感情はありません。
しかし「当たり前だろ」というような類のことばが嫌いな人もいるのではないでしょうか。
加害者には自分の狭い世界の「当たり前」しかありません。
被害者側に感情も思考も意思もあるのです。
そんなこともわかっていないくせに、今日もどこかで加害者は「当たり前」を振りかざしているのでしょう。
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このことはプログラムでもみんなで話し合いました。
加害者はある場面で、「そんなこともわからないのか!」「当たり前だろ、そんなこと!」と相手の話をブツンと切り、気持ちを汲み取ろうとはしない。
特に余裕のない人はすぐに「当たり前だ!」と怒る。
余裕があるかないかも自分で決められるし、決めていることにすら気づかないで怒っている。
これを防ぐには➡
①自分は絶対的な存在や人ではないのだと一歩引いてみること。
➁相手を思い通りに支配したいことがあっても、常に常に相手はどう思っているのだろうと考える癖をつけること。
多くの加害者は、自分にストップをかけられ進めなくなり思うようにならないと「当たり前だろうが!」と怒る。
加害者の当たり前とは、「常に自分は正しい」の意識。
そのくせ人は自由なんだと考え、自分は決して行動を起こさないという「当たり前」のルールを持っている。
自分で関心のないことはどうでもいいと思っている。
他人に興味を持つという「思いやり」を置き去りにしている。
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今も『オレ様的特権意識』を捨てきれない彼らですが、少しずつ少しずつ本当に少しずつ何かが動き始めています。